に映画館で『すずめの戸締り』を見た。自分は賛否の「ぴ側」なので気をつけてください。感想というか当時観た時に考えたことの忘備録として残しておきます。
個人的な感想の話。
ちょっとデストロイヤー要素が足りなかった。糸森市を襲った隕石、電気設備を爆破破壊したてっしーがいる『君の名は。』や、女の子のために拾った拳銃を振り回し、東京を水の底へと沈めた主人公がいる『天気の子』と比べて、アクション要素、映画としてでっかいものぶっ壊す要素が減ってしまったことが——私が、人類の代表、総意として主張させていただきますが——非常に残念なりません。なぁ誠、車は直さないでもっと壊していかないか? 東京にミミズをぶち落としてくれないか?
こっから真面目な話
ちょっと物語のテンポが、作品の見やすさではなく監督のやりたかったことに先行して作られている感が否めない。そしてそれはそもそも『すずめの戸締り』がいったい何を主題として作られているのか喪失してしまっていることが原因だからではないかな、とぼんやり考えている。
結局、『すずめの戸締り』ってなんだったの? 震災に焦点を当てたかったのか、それともボーイミーツガールをしたかったのか、「閉じ師」という職業から地域の物語に目を向けたかったのか、ダイジンという不思議な猫としゃべるイスのおかしな逃走劇をやりたかったのか、それとも日本を北上していくロードムービーをやりたかったのか——要素がてんこ盛りで、どれもが中途半端なままで終わってしまった。お前はガキのランチバイキングかよ。
たとえば『君の名は。』『天気の子』の良さは地域信仰や伝承の概念とボーイミーツガールの運命性をうまく絡めて一本の筋にしていた。けれど、『すずめの戸締り』に関してはそこを「別のイベント(椅子になる話)の巻き込まれ」と「一目惚れ」で片付けてしまっていて、完全に別軸の物語が二本立っているような状態になっている。これだけでも割と作品としてとっちらかった印象を受けてしまうのに、本作を構成する要素はそれにとどまらず、そしてそれぞれがそれぞれに強い結びつきがあるとは思えない……。なぁ誠、もーちょっと上手くやれなかったのか?
東北を含めた地域の「場所を悼む」物語を書くのならば、回想ではなく現実として当時の話が欲しかった。でっけえ厄災が扉から出るから閉じましょう、だけが「戸締り」に込められた意義ではないはず。そこに隠された意図が曖昧なイメージとほわんほわん反響する声だけ投げてあとは考察する人にお任せしまーすって態度、普通に最悪だと思う。もっとちゃんと書け。
ロードムービーとして書くのならば、九州-東京と東京-東北までの間に一呼吸入れるべきだった。ここはまったく旅の意味合いが変わっていくはずが、シームレスに、かつ成り行きとコミカルという形で旅が再開してしまった。東京が旅の分岐点であり、作品の盛り上がりの底であり、ここに一度止まるべきだった。天気の子はそこら辺がしっかり描かれていただけに残念だ。
ボーイミーツガールとしてはわりかしよかったと思う、よくないが。誠くんってそういうとこだけ器用だよね。
めっちゃ細かい話
・ダイジンっぽい猫だから「ダイジン」って呼ばれてる←これどういうこと? みんなはあの白い猫を大臣っぽいって思ってるの? 俺は普通にキモかわいいタイプの猫だと思ってるけど。世界は俺の知らないうちに変容しているのか?
・本当にちゃらちゃらした教員志望の男子大学生は必要だったのか? おばさんと東京駅でしっかり和解してから二人でいけばよかったんじゃないか?
・黒い猫はなんでタマキおばさんを洗脳したの? お前なんなの、性格悪すぎない? 神様だからって全部「気まぐれか〜」で許されると思うなよ。説明責任、果たしてもらいますからね。
・猫で観客を釣るな。猫は制限カードなので一つの映画に一匹までしか入れられません。これはレギュレーション違反ですね
結論として、テーマが散らかっていてもったいない一作だと感じた。
もしも震災とその後始末的なものについて映画でやりたかったのなら、テーマをそれ一本に絞り切って、アニメーションでしっかり逃げずにやりきってほしかった。綺麗な絵と声だけの回想で脚色されただけの美化された思い出じゃなくて、もうマジでいろんな人を傷つける覚悟と責任背負ってしっかり書き切ってくれよ。まぁ、新海誠という名前がデカくなりすぎたうえに、時代が時代だから難しい話かもしれないけれど……。
だから誠、今度は巨大ロボットの映画作って地球をぶっ壊してくれないか?