月草日記

探るな

戯言

かわいい〜〜

 キャラクターと、シナリオという名の受け皿の話。

 

 TRPGをするうえで自分のキャラクターを作ることは楽しい。それを演じることは(多分)もっと楽しい。それはそう。プレイヤーは自分が演じていて楽しい / 性格・視覚的に好み / 愉快なキャラクターを作っているはずだからだ。

 それを突き詰めていくと、キャラクターの背景にある膨大な設定や、行き過ぎた言動、シナリオの雰囲気作りを妨害するような演技へと発展せざるを得ない。

 

 しかし悲劇的なことに、キャラクターとシナリオはダイレクトに直結しているわけではない。それはあくまでシナリオという受け皿に、後天的に投げ捨てられたものにすぎない。シナリオは「特定の誰か」が遊ぶことを意識して作られたものではない。

 たとえばあなたのキャラクターは焼かれた村の唯一の生き残りで、過去に人知れず世界を救っていて、三十人の伴侶が居て、未来を見通す特別な眼の持ち主だったとしても、そのシナリオの世界にそんな村はないし、世界の危機もないかもしれないし、三十人の伴侶や特別な眼の存在は許容できないかもれない、ということだ。

 それを無理に押し通すとルール無用のおままごとごっこになり得る危険性を孕んでいる。(これが所謂うちよその発展から懸念されている問題)

 

 ただ、一方でゲームマスター、とんでシナリオ作成者は、上記の様な長大な設定のキャラクターを受け入れろ——までとはいかずとも、ある程度キャラクターの受け皿を広げる努力をしなければならない。

 このキャラは敵組織に親友を殺害されている、という背景を持っていて、底抜けに明るい性格で、このPCに好意を抱いていけない……とゲームマスターが逐一制限をするようならば、それはもはやTRPGではなく、他人を巻き込んだ小説や演劇にすぎない。(これはすべてのゲームマスターが自制しなければいけない)

 水に満ちない器や人のすまない建物はゴミでしかないように、プレイヤーの自由意志のないシナリオもやっぱゴミ。

 

 そうなると、プレイヤーもゲームマスターもお互いにやりたいことを共有したうえですり合わせるのが一番いいよね、という話に落ち着く、結局。

(これは自分の意見ではあるけれど)よく遊んでいる人以外と遊ぶということは、そのすり合わせの再定義を要求するものであり、リスクを孕む行為であることはゆめゆめ忘れてはいけない。新しく遊ぶ人に対して「ウチのシマじゃこれがルールだから」は本当にカスだからやめた方がいい。

 

(こっから戯言)

 Twitterなどでたびたび話題になる、学芸会さん……w(これは陰湿な幽谷霧子)の問題の九割はそう言った自分が所属している矮小なコミュニティの外世界との衝突にすぎず、あなたには本質的に関わりのない話だし、「趣味はTRPGです」は新たな出会いと衝突を生む可能性があるので公言しないほうがいい。インターネット上に散らばるシナリオは、あなたたちがした「すり合わせ」とシナリオ製作者の「すり合わせ」の結果が違うことによって、合う合わないがあるのは当然で、それが嫌なら自分でシナリオを作るしかない。狭いコミュニティで屈折かつ鬱々と、内向的であれ、内向的であれ、内向的であれ——ここが一番甘い水で、安らかな世界で、傷つくことのないやさしい場所なのだ。外の世界を気にかける必要などないんだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあな