月草日記

探るな

牛乳

 ゲーム『milk inside a bag of milk inside a bag of』とその続編にあたる『milk outside  a bag of milk outside a bag of』を遊んだ。分岐もすべて確認して、実績もすべて解放したので、遊び残したところはない、はず。

 

 ご存知のとおり、「覆水盆に返らず」という言葉があって、英訳すると「it is no use crying over spilt milk」(こぼれたミルクを嘆いても仕方ない)となる。だからタイトルのmilkは、「既に手遅れなもの」のメタファーかと思うが……このゲームはやっぱりロシアのゲームで、それにあたるような慣用句は、おそらくない。「Снявши голову, по волосам не плачут.」(頭が落ちれば、髪に泣かない、髪の毛が無くなることを気にすることはないみたいな意味)同じような言い回しで、過去は過去とか荷車が関係するものがあった気がするけれど、やはり牛乳は出てこない。ロシアでも英語の慣用句が広く伝わっているかもしれない、それは知らない。

 主人公のMilkちゃん(便宜上そう呼ぶ)は一種の統合失調症のような状態に陥っていて、我々プレイヤーはMilkによって作り出されたイマジナリーフレンドとなる。Milkは第四の壁を越えて我々プレイヤーに語り掛けているようにみえて、その実、我々が設定としてMilkの世界の内側へ「引っ張り出された」という仕掛けに新鮮さを覚えたのがよかった。それと同時に自意識から離れるイマジナリーフレンドという存在が、彼女が非常に精神的に不安定な状態に陥っている、という点を考えてみると『outside』はぶっちゃけ手遅れだよね、という薄暗い気持ちにもさせられる。『inside』ではMilkの気に入らない反応を示すと「失敗」また別のキャラクターを作り始めるあたり、まだ救いがある。milkが「既に手遅れなもの=Milk」だと考えると、milk outside a bag of milk というのは流出した、ないしは外部と同化した自己、つまりプレイヤー自身とも読めるかもしれない。まぁ、それも選択肢から回答するしかない以上はやはり上位にmilkが存在し続けるというどうしようもなさがあるのだが。流れてゆく自己の話って誰のことだっけ?

outsideの話。「全部うまくいく」が多分、一番憂鬱な終わり。自己を守るために自己を認識しないように努めた結果、客観的に自己を見つめる自己からも目を背けられてしまう。鏡にmilkちゃんの後ろ姿が写った時に「はー、なるほどね」と感嘆してしまった。まぁでもこれ以上傷つかないために人間ができることってモルヒネに頼るか死体になることくらいですからね。残酷だ。

「私たち友達」は多分小さな紙きれからピザ屋のchatbotと会話をするエンド。最後の「セッションが終了しました。ページを更新してください」ってのは、milkちゃんの世界が哲学的な量子コンピュータによって再現された仮想世界ってわけではなく、サイトの有効期限が切れただけのことだと思う。他者と会話すること、そしてこの他者がchatbotであることに精神分析学から重要な示唆が為されているような気がするけれど、そこまで明るくないから言及することはできない。一番平和的な(現実に近い)エンドに見えるのでmilkちゃんの症状が改善しているように見えるけれど、どうなのだろう。なんか爽やかさはある。一番見るのが難しいエンドだろうからか?(あんなの初見で気付けるわけないだろ)あるいは思考の放棄や諦観に近いもののような気がする。「私の思考は私を助けない」いくら考えたところで循環するだけだから、考えないほうが良い。みたいな。

「視線を落とす」はかなり文学的な示唆に満ちているエンドだけれど、よくわからなかった。浅学なので……。おそらく自分の外側に仮想の世界を作り続けているうちに、自分の作り出した世界に取り込まれてしまった、みたいな終わり方だと思う。ただ巨人のような超存在が現実の世界で何を意味しているのかが難しい……原文をあたれば良いのだけれど、如何せんそこまでの気力はない。たぶん、精神的処置のことだと思うが、母が正気なのか狂気なのか、現時点では判然としない。(牛乳アレルギーの彼女にたいして注射を処置しているようにみえるが、ご存知のとおり、彼女の認識はひどく歪んでいるので)

 

insideは徹底的な自己内省の話に聞こえる。自己内省することに対して内省することに対して内省することに対して内省すること……が多分milk inside a bag of milk inside a bag of……のように見える。作り上げた自分に対して自己分析を言語化して説明することを療法としている。ビジュアルノベルの形をとっているのはつまり、そういうことなのだろう。

全体的にSerial experiments lainみを感じるけれど、あの作品が自己独立と他者理解がテーマだと考えると似ているところはあると思う。理解しうる他者が存在しないという点で分たれているものだけれど。やっぱ人間ひとりで生きていけなくて、それでもひとりの人間は自分を自分で切り裂いてふたりになるしかないんだ。残酷。

 

O!は生理的恐怖を感じた。あぁ、これってホラーゲームなんだ、って感じ。outsideのポーズ画面もO!なの、本当に最悪。本当に。