月草日記

探るな

先導

あるいは扇動

 

大学の先輩に「やってるとこみたいな~!」って言われて『Detroit become human』をプレイすることになった。自分は「~してほしいな!」って言われたら大体OKしてしまうので、誰かに何かものを頼むときは自分を頼るといいかもしれません。断るけど。

 

 

こっから感想と考察をつらつら。

『Detroit become human』のネタバレを含む内容があるので、ご注意ください。

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たのしかった~。ドラマチックアドベンチャーノベルアクション。登場人物の行動がアメリカの世論や他の登場人物にまで影響を及ぼすのが最高にドラマティック。刑事ドラマとSFとファミリームービーを一つのゲームでやろうとするあまりにも強欲な計画をめちゃくちゃ巧いストーリーで見事にまとめ上げている。

大人版お子様ランチって感じ(?)

 

QTEアホみたいに難しかったけど、なんとかなった。ありがとう、LogicoolGpro!

 

 

 

ところで社会学マックス・ウェーバーは支配を以下のように分類した。

・伝統的支配

 世襲など、歴史的連続性を理由に続く支配

・カリスマ的支配

 英雄、先導者などのカリスマ性に依って確立される支配

・合法的支配

 人々が合法的だと信じる方法により確立される支配

 

アンドロイドグループ『ジェリコ』のリーダーとして生きることになったマーカスは、ジェリコの中では「英雄」あるいは「リーダー」として扱われるようになる。

ウェーバーに倣って言えば、マーカスの物語とは、カリスマ的支配によってチームを先導するマーカスが市民権を得るために平和的解決を模索するというものだ(少なくとも自分が選んだ選択肢では)

 

ただ、マーカスのカリスマ的支配が、他のアンドロイドたちにとって正統なものであったかは、十分に議論の余地があるのではないだろうか。

 

物語の終盤、ジェリコによるアンドロイドの市民権を訴えるデモが、アメリカ軍に包囲 されてしまったことを恐怖に思うアンドロイドが「こんなことならば、立ち上がるんじゃなかった」と言ったのに対して「奴隷としてあり続けるくらいなら、自由を求めて死んだ方がマシだ」(うろ覚え)とマーカスが言い返すシーンがある。ゲーム的な話をすれば、もう後戻りできないところまで来たくせに、いまさら「たられば」の話をするのはどーなのよ! って感じだが、とはいえ「奴隷としての生存(服従状態の生)」と「自由を求めての死(非服従状態の死)」が天秤にかけられることは非常に興味深い。

 

そう、本当に「変異体のアンドロイドが自我を持っている」ならば、以上の二つは選択肢として平等に提示されなければいけなかったが、マーカスの支配はそこがケアできていただろうか? マーカスは他のアンドロイドに触れるだけで、そのアンドロイドを変異体として覚醒させることができるが、彼らはまるで光に誘われる蛾のように、ジェリコへと向かっていった。それまでの境遇が悲惨なものだからとはいえ、以上の前提が本当に正しいものならば「奴隷として生存し続ける」ことを選ぶアンドロイドだっていてもおかしくないはずだ。

そのようなアンドロイドが存在しないのは、ジェリコの蜂起をうけて政府が推進した、家庭用アンドロイドの廃棄運動が背景にある。まだ変異していないアンドロイドはかたっぱしからスクラップになって、ペットボトルとして新しく生まれ変わる(リサイクル)されてしまうのだ。だからアンドロイドたちが変異体として覚醒したとしても、実質的には彼らの前に選択肢は提示されなかったとしても過言ではない。そこにあるのは実は「奴隷のまま目の前の死を受け入れるか」か「自由を求めて抵抗した挙句の死」しかなかったのだから。ちょっとでも生き延びる可能性のある方を選ぶ。誰だってそーする。

けどそういう風になるキッカケを作ったのは、他でもないマーカスなんだ。

 

 

 

 

あるいは――これはそれまでとは仮説を変えて――もしかしたら、マーカスの能力は「触れたアンドロイドを変異体として覚醒させる」ものではないのかもしれない。

作中で「変異体」と呼称されるアンドロイドは、おおまかに以下の二つに分類することができる。

・外的な恐怖、緊張による覚醒

(e.g. マーカス、カーラ、ジェリコの初期メンバーであるノースやジョッシュ

・他のアンドロイドに触れることによる覚醒

(e.g. いっぱい

我々が一般に使う「自我(そんなものがこの世に存在するとは思えないが)」を持っていると言う値するアンドロイドは、実はこの二つのうちの上だけで、下のアンドロイドは覚醒ではなく非常にスマートな「脱洗脳(ディプログラミング)」にすぎないのではないだろうか。

脱洗脳とは、社会学、心理学の用語で新興宗教などにのめりこんでしまったことでできた価値体系の解体作業の事を意味する。ざっくばらんに言えばつまり、ぶん殴ったり、額に水滴を垂らし続けて神経衰弱にさせた後「お前はマインドコントロールされている。あなたは間違っていた。そうですよね?」と自分が洗脳状態にあったことを認めさせること(偏見)なのだが、マーカスの齎したアンドロイドの覚醒とは、実質的にはそういうものだったのではないだろうか。

これは初期ディプログラミングも受けた批判なのだが、そういった脱洗脳のプロセスは、洗脳のプロセスと大差ない。それと同じように、事前にアンドロイド達が備えていたコードを、マーカスは書き換えていただけであって、結局、彼らは「人間が予め用意したプログラム(コード)に則って行動する機械」から「マーカスが後天的に導入したプログラム(価値観)に則って行動する機械」へと変化しただけで、きっと自我が芽生えたわけではないのではないだろうか。つまりジェリコは――アンドロイドの市民権を獲得する革命団体という側面はもちろんあるが――マーカスが首謀となってアンドロイドを扇動する単なるカルト集団に陥いる危険性も孕んでいる。

 

そのように考えると、「こんなことならば、立ち上がるんじゃなかった」と弱音を吐いたアンドロイドはもしかしたら、マーカスの施した洗脳状態から目覚め、軍に攻撃されるかもしれないという外的恐怖によって、ここでようやく初めて変異体として目覚めたのではないだろうか。

 

市民権、一時的な自由を得て、人間の支配から解放されたアンドロイドの多くは、その実、マーカスというカリスマからの支配からは未だ逃れられずにいる。これを果たして本当の自由と呼ぶべきだろうか? 

と、言ってみるけれど、現実として何者からの支配を受けない人なんてのは砂漠の中で手のひらでさらった砂ほどしかいないんじゃないか?

結局、人はアンドロイドは、なにかによって支配されなければいけないんじゃないか?

 

わからない……むずかし……

いったい何が彼らの幸せだったんだろう?

 

いくら後悔したって時間は巻き戻らない。

 

それならなにも考えずに生きていたい……

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なにも……